「頑張り・努力・必死」と「自己実現」の思い

「頑張り・努力・必死」と「自己実現」の思い

 人間は誰でも、思い通りにならない環境に出会ったり、しようと思ってもできなかったりすると、その不快状況を何とかしようとします。何とかしようとする在り方は様々です。思い通りになる環境に変えようとしたり、不快な不適応一次意識の思いを「無くそう」「消そう」「取り除こう」としたりします。不快状況を何とかしようとするのは、不快状況を嫌う人間の本能で、特段変なことではありません。そして、何とかしようとして、何とかできると不適応に陥ることはありませんが、何とかしようとしても、依然として環境が変わらなかったり、不適応一次意識の思いがそのままになっていると、さらに過剰に何とかしようと藻掻きます。この状態が、頑張って、努力して、必死になって何んとかしようとしてもうまくいかない空回りの状態です。不適応に陥っているほとんどの人は(そうでない不適応状態も一部あるということで、ほとんどと言っていますが、これについては後述します)頑張り、努力、必死が空回りしてしている状態であると言っていいでしょう。何とかしようとして、頑張って、努力して、必死になっていてもよくならない人に、さらに頑張って、努力して、必死にしなさいと言うのは、死者に鞭打つようなもので、救済とは裏腹にさらに状態を悪くするように仕向けているようなものです。無自覚に自身でその状態に陥っているのを、努力逆転の法則に捕まっていると言ったりします。このような理由から、「うつ病の人に、頑張れと言ってはいけない」といった常套文句が言われるようになり、今では常識になっていますが、うつ病の人だけでなく、すべての不適応、精神障害の人について言えることです。

 私たちは、不適応に陥っている人に、つい「頑張れ、努力だ、必死でやれ」と声をかけでしまいがちです。「頑張り・努力・必死」いう言葉には、きつくて辛いニュアンスが伴い、その言葉を使ったり聞いたりすると、やはりきつくて辛い感じになります。「頑張り・努力・必死」という思いを創るのは、きつくて辛いのを承知でやり通す時や、短期決戦で一気にやってしまうとき、さらに勝負に臨むときなどです。きつくて辛い思いなので長く思い続けていられない思いでもあります。不適応に陥っている人が適応的二次意識として創る思いは、どんな状況であっても、自分らしくよりよく適応的に生きていくための思いで、「頑張り・努力・必死」という思いとは微妙に違います。心理学では、どんな状況であっても、自分らしくよりよく適応的に生きていくための思いを「自己実現の思い」とか「自己高揚感の思い」とか「期待・希望の思い」とか言います。しかし、こういった学術用語は知っていても、実際にどんな思いをそう言うのか、その具体はなにかいうことになると、学者でさえはっきり答えられなかったりします。

 端的に言うと「(どんなことがあっても)これから良くなっていくだろう」という思いです。そして、大言壮語のように聞こえるかもしれませんが、どんな不適応でも精神障害でも、適応的二次意識の思いとして「(どんなことがあっても)これから良くなっていくだろう」という思いが創れるようになると適応的に生きていけるようになります。心身の健康な人は、いかなる状況に立ち至っても「(どんなことがあっても)これから良くなっていくだろう」という思いを無自覚で創れるので、適応状態を崩さずにいられるのです。裏を返せば、どんな不適応も精神障害も、適応的二次意識として「(どんなことがあっても)これから良くなっていくだろう」という思いが創れなくなっているということです。

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