適応機制とは、
(1) 現実生活の中で、思い通りにならない困難支障に出会った時に
(2) 自分でいろいろ工夫しながら
(3) 現実と適切に調和してやっていこうとする
(4) 適応するための思いを創る主体的な心の働き
を言います。
人間は、誰でも適応機制を創れますが、適応機制は自力で創らないと形成できないものです。人間は、生まれて死ぬまで、日々の生活の中で、困難支障に出会うたびに適応機制を創りながら現実に適応していく存在だと言えます。
人間の適応機制は強力です。どんなに劣悪な環境にいても、適応的に生きていけるのが人間です。本能に長けたミツバチでも、環境が合わなくなると簡単に死滅します。本能に長けていても、適応機制が貧弱なのです。また、高度に進化した人間に近いと言われているアカゲ猿でさえ、形成に失敗したり一度壊れた適応機制は、再生再興ができないことが知られています。人間の適応機制の強力さは、他の動物と明確に一線を画しています。
結論の根拠が不明で信じられませんが、母子愛情関係論や対象関係論では、乳幼児期の母子関係形成の失敗がその後の心身の成長に著しい禍根を残すと説いています。確かに動物実験の結果はそのようになっていますし、自然から隔離された動物園で飼育されたチンパンジーが、子育てができず再獲得できないなどの事実もあります。しかし、人間の場合は、親に疎外され、ネグレクトされ、あろうことか虐待までされて、施設に措置され施設で生活を送って成長した子ども達の殆どが、立派な社会人になり円満な家庭の親になっている事実があります。残念なことに、一部に一人前の社会人になれない子ども達もいますが、少数です。
児童相談所の職員だった頃、施設を出て健康で適応的に生きている子ども達に、劣悪な環境で冷酷な親の元に生まれたのに、どうしてそんなに健気に健康に社会人として生きられるのか、気持ちを訊くようにしていました。大勢の子どもの思いを聞きましたが、集約すると「自分の生い立ちや、環境や、親への恨みや不信は無くなっていないし、許さない思いも消えないけれど、人間として自分らしく社会人として、望ましい親として生きていこう」という思いをハッキリ創っているということでした。これが、子ども達が創った適応機制の思いです。
いつから、そんな思いを作り始めたのかは、それぞれの子どもによって違います。早期に創っていた子どももいれば、いろいろ悪さをした後、長じてから創ったという子どももいました。だだ、共通するのは、人間的で適応的な思いを創っている(適応機制)ということでした。
父子家庭でアル中の父親からネグレクトを受けていた男の子は、万引き、窃盗、恐喝、無免許バイク、など家裁の審判まで受けた子でしたが、こんなことをいつまでもやっていて自分はどうなるんだ、いい加減まっとうな生き方をしようと思い始めたと語り、捨て子で、自分の生い立ちを呪い、自分を捨てた親を憎み続けていた女の子は、無断外泊、暴走族、援助交際、不純異性交遊などの末、こんなことを続けていたら自分も子どもを捨てるような親になってしまう、何があっても子どもを守る親になろうと思いを創ったら一切の不良行為ができなくなったと語りました。
こういったことからも、適応機制は、創ろうと思いさえすれば、誰でも、いつからでも、氏素性、環境、資質に依らず創れることが分かると思います。
虐待は、親子三代続くなどとまことしやかに明言する専門家などを見ると、劣悪な環境に負けず冷酷な親関係を越え、親の愛情を知らなくても健気に健康な人生を生きている子ども達の顔が思い浮かんできて、そういった生き方をしている人間に対するなんという冒涜であろうかと怒り心頭に発してしまいます。臆面もなく呪いであるかのように言う専門家は、親子三代続いてしまう人と、立派な社会人になっている人との違いを明確にすべきですが、そんな話はほとんどなされていません。無責任の極みです。
心の健康は、適応機制が働いて、適応的思いが創れるかどうかにかかっているのです。そして、創ろうと思いさせすれば、すぐに創れます。適応機制が創れない原因や理由などなにもないのです。